横川の釜飯を食べに行こう
Last Update:
- プロローグ 〜はじまりはいつも突然に〜
ある日、ニュースを見ていたら、北陸新幹線の開業のために信越本線の横川〜軽井
沢間が廃止になるというニュースがあった。ということは、EF64の重連による
後押しが見れなくなる、、、ちょうど3連休もあるじゃない。ということで、急
きょ思い立って行くことにした。ただ、『EF64を見に行く』だけじゃ妻に申し
訳ないので、周辺の観光地を回ることにした。とりあえずこの段階で決まっている
のは『横川で峠の釜飯を買う』だけ。(^^;)
- どこに泊まろうか…
日帰りもできなくはないが、強行軍になるので避けたい。が、ホテルに泊まるほど
お金はかけたくない。ということで、公共の宿を探すことにした。どこの本屋でも
『公共の宿』みたいな本が置いてあるので、これで探すことにする。
善光寺とやらに行ってみたかったので長野市内で探すが、ある程度新しいところと
なるとどこも満室。ちょっと市街地から外れたところなら大丈夫だろうと思って電
話したのが『国民宿舎永保荘』だった。7月19日からの宿泊だったのも関わらず
7月15日に電話して予約できたのは『ラッキー』としか言いようがない。これで
宿は完了。
- どこに行こうか…
長野に泊まることは決まったが、それ以外の予定が全く立っていない。あまりガチ
ガチにスケジュールを組むのも嫌なので、とりあえず『関越道から上信越道に入り、
横川で釜飯を食べて、軽井沢から長野に抜ける。あとは時間次第。』という『予
定』と呼ぶのもはばかられるような大雑把な予定だけは立てた。とりあえず、環8
の渋滞にはまるのが嫌だったので5:30AMに出発ということだけは決めておい
た。
- 地獄の環8?
前日、就寝時間が遅かった(0:30AM)にも関わらず、予定通り5:00に目が覚める。
てきぱきと準備して、、、といっても、顔を洗って服を着るだけだが、、、出発。
綱島街道→中原街道と抜けるが、渋滞なんて全く関係ない。順調に進む。
環8に入っても信号待ち以外ほとんど止まらない。途中、東名の入口と中央の入口
で車が増えたが、渋滞するほどではなかった。スルスルと環8を抜けてしまった。
途中、反対車線は大渋滞だったので、5:30に出発したのが効いているんだろう
か、、、練馬、というか、新座から関越道に入る。
- 予定変更
関越に入ってやっと渋滞らしきものが始まった。が、トロトロ進んでいるので『渋
滞』というほどひどくはない。圏央道の JCT を越えるとかなり車もばらけてきた。
三芳PAで朝食にする。メニューはいろいろあるが、あんまり重いものを食べたく
なかったのでラーメンにする。『なぜラーメンか?』答えは単純で、自分が関東の
そばやうどんのつゆに馴染めないからである。(私の麺類へのこだわりについては
こちらを参照して欲しい)
無事朝食も済んでお腹を満たしたので横川を目指す。しかし、時刻は7:00を
ちょっと回ったくらい。このまま横川に行ってしまうと間違いなく早過ぎる。
ということで、上里SAで作戦タイムを取る。地図を広げて確認すると、榛名山か
ら県道を抜けて横川まで行くとちょうどお昼くらいになりそう。ということで、関
越の渋川伊香保ICまで行き、そこから榛名山に登ることにする。上信越道との分
岐を過ぎるとガラガラとなる。ものの数分で渋川伊香保ICに到着する。
- 榛名山の登り
なぜ榛名山にこだわるのか。それは『頭文字D』という漫画の舞台となっている
からである。実際には『秋名山』という呼び名を使っているが、榛名であること
は疑いようもない。劇中では神がかり的なテクニックでダウンヒルを制する主人
公がいるわけだが、実際にそんなことが可能なのか自分の目と自分の車で試して
みたかったのである。(と偉そうに言うほどのテクニックは持ち合わせていない
が、、、:p)
榛名の登りは交通量の多い峠にありがちな轍がある路面だった。それも、半端な
轍ではない。しっかりハンドルを握ってないと振り回されてしまうくらいにひど
い。ブレーキングエリアと立ち上がりのアクセルオンの場所がもっとも荒れてい
るのでノーマルサスでは話しにならないくらいに暴れてしまう。『よくもまぁ、
こんな峠を攻めるもんだ。』というのが素直な感想である。
- 榛名富士
なんだかんだいいつつ、榛名山を登り切った。頂上から榛名湖まではしばらく下っ
ているが、『ロープウェイ入口』という看板が目に入ってきた。どうやら榛名富
士の山頂に行けるらしい。『こりゃぁ〜行くしかないでしょ〜』ということで寄
り道する。非常に小さい駐車場とおみやげ屋がある。おみやげ屋の従業員は出勤
してきたばかりのようだ。なんだかおかしいなと思っていたら、ロープウェイの
運転は9:15からのようだ。今は8:45なので30分ほど待つことにする。
ロープウェイの駅の横には馬車に乗ったおじさんが『ロープウェイが動くまで
30分あるよ〜。その間に馬車に乗らんかね〜。』と言っていた。その気はない
ので無視する。:p
9:15にロープウェイ運航開始となった。その日の第一便である。45度くら
いの急勾配を一気に登っていく。2分55秒(そうアナウンスされたので間違い
ない)で山頂に到着した。それは良いが、山頂には徒歩5分くらいのところに神
社があるだけで、それ以外はなぁぁぁぁんにも無い。驚くくらいに何もない。
天気が良ければ関東平野だけでなく富士山も見えるらしいが、あいにく霞んでい
る。仕方ないのでとっとと降りることにする。
- 山道くねくね
榛名湖畔から天神峠を抜け、再び山の中の県道を通ることとなる。運転している
自分はくねくねしていると面白いので構わないのだが、助手席の妻にとっては地
獄だったと思う。(^^;)自分のレベルでは『お気楽』から『攻める』の中間くら
いのつもりだったんだが、、、まだまだ修行が足りないようだ。
- 横川駅ってこんなところだったのね
山道を抜け、国道18号線に出るとそこはもう横川。その昔、鉄道マニアだった
ので、信越本線横川駅は是非訪れてみたい場所だった。183系のあさまとEF
64の重連が是非見ておきたかった、、、などとマニアにしか通じないことを書
いても仕方ないが、、、:p
18号線沿いに峠の釜飯を作っている『おぎのや』がかなり大きな店を出してい
る。ここで買っても駅で買っても全く同じものである。ただし、こちらでは味噌
汁やその他諸々が一緒に売られているので良いかも知れない。だが、ここでは買
わない。あくまでも目指すは横川駅である。
18号線を外れて古い町並みを進んでいくと横川駅が現れる。もうちょっと大き
な駅かと思っていたが、どこにでもあるローカル線の駅である。ちょうどあさま
が到着したが、ドアが開いた瞬間に乗客が一斉に飛び降りてくるのが見えた。み
んな釜飯を買いに行っているのだった。(^o^;)とりあえずEF64が重連になっ
ているのでバシャバシャ写真を撮った。
一通り写真も撮ったので釜飯を買って横川駅を後にする。釜飯2つで1800円
也。
- 軽井沢で悲劇が…
軽井沢までは碓氷バイパスを使う。旧道は土砂崩れで使用不可のようだ。碓氷バ
イパスも交通量、特にトラックが多いため轍ばかりで非常に走りにくい。また、
勾配も急だし、長いコーナーが多い。横川〜軽井沢間が廃止されると代替手段と
してバスが走るらしいが、本当に大丈夫なんだろうか、、、
碓氷峠を越えるとそこは軽井沢である。清里などと同じようなイメージを抱いて
いたが、全く違っていた。避暑地であることに変わりはないんだが、ターゲット
にしている階層が違っている。明らかに『お金持ち』を意識している。若者もい
るが、それは一部の地域だけで、基本はやはり『お金持ちの街』なのである。
お昼ご飯に釜飯を仕入れたのは良いが、食べる場所がない。地図とにらめっこし
ていた妻が『見晴台がある』という。車で行けそうなので登っていくことにする。
しかし、悲劇はそこに潜んでいた。
車1台がやっと通れるような細い道を進んでいたが、前の車がバックしてくる。
『なんだ?』と思ったら前方から車が来ていた。仕方ないので自分もバックして
避けることにした。その時、後方確認を怠っていた私は
真後ろに岩があることに気がついていなかった。次の瞬間、
という音とと
もにリアバンパーを傷モノにしてしまった。(号泣)
- 見晴台でお昼
バンパーだけでなく心にも深い傷を負ってしまったが、なんとか見晴台にたどり
着く。ちなみに、この見晴台はです。ご注意を。駐車場はものすごく狭く、4台止めるのが精
一杯。また、駐車場から見晴台までは歩いて登らなければなりません。歩いて
登っている人も見かけましたが、大抵の人はタクシーか自分の車で登ってくるよ
うです。車がないけど、お金はかけたくない人は登ってこないようです。
見晴台というだけあって景色は良いです。晴れていれば遠くの山々まで綺麗に
見えるはずですが、今日は霞んでいます。眺めの良さそうなベンチに座って釜
飯を食べました。思っていたより量があったんですが、ペロリを平らげてしま
いました。
- 菅平へ行こう
お昼ご飯も食べたので軽井沢を後にして先に進む。18号を下っていくが、お昼
ご飯直後だし、睡眠時間が少なかったせいもあり、異常に眠たくなる。どうにも
耐えられなくなったので、コンビニを見つけて駐車場に滑り込む。車を止めてシ
ートを倒してしばし休憩。
ちょっと横になっていたら眠気は無くなったので出発する。軽井沢から長野に向
かうにはそのまま18号を通る方法もあるが、せっかくなので菅平経由で行くこ
とにした。その名も『菅平入口』という交差点で18号線に別れを告げて再び県
道を走る。
自分はあまり、というか全く、スキーをやらないので知らないのだが、菅平には
スキー場がたくさんあるらしい。事実、案内図にもスキー場とペンション・民宿
などがたくさん書かれていた。実際に菅平を通った時、『ここが一面雪に埋もれ
るのか…』と思うとなんだか恐くなってしまった。
- 山道くねくね 〜その2〜
菅平から長野に抜ける道は2本。国道を経由する道と『冬期閉鎖。大型車通行不
可。』と表示されている県道を抜ける道である。当然、県道を選ぶ。菅平周辺
(だと思われる場所)では片側1車線の道路だったが、とあるコーナーの出口に遮
断機が備え付けてあり、そこから先は車1台分くらいの狭い道になっていた。コ
ーナーはほとんど全てがヘアピン状態で、ブラインドコーナーの連続。しかも、
12%の下り勾配!久しぶりに飛んでもない坂に出会いました。
- 牛に引かれて!?善光寺参り
今日の宿舎である永保荘の場所を確認しましたが、時刻はまだ14:30。この
まま宿舎に入っても時間が余ってどうしようもないと思ったので、そのまま山を
下って善光寺に行くことにしました。
長野市内は車線が分かりにくかったり、標識も何もないけど右折禁止だったりす
るので、なかなかスリリングです。その上、スピード感覚が違うのか、ちょっと
でも車の流れが途切れると右左折を開始する車が多い。ちょっと閉口させられま
した。
で、善光寺。裏側にある駐車場に車を止めていきました。境内に入った途端に線
香の香りが立ち込めていて、どことなく威厳を感じさせてくれます。参門の側に
は大きなお釜のようなものがあり、中で線香を燃やしています。この煙を体の悪
い部分に付けると良くなるとか、ならないとか……私はとりあえず頭に付けてお
きました。:p
300円支払えば内殿と『戎段回り』(漢字失念)と呼ばれる御本尊の真下を回る
コースを参拝できます。御本尊の下は真っ暗で何にも見えません。その中にある
鍵に触れると縁起が良いそうです。慎重に回れば誰でも触ることができます。
ここで非常に珍しいものを見ました。とい
うバイクなのですが、知らない人にとっては単なるバイクだが、知っている人間
にとっては貴重なバイクである。
- 国民宿舎永保荘
宿舎には17:00頃到着しました。ここは一部を改築していて、半分は新しい
建物ですが、残りの半分は開設当時のものだと思われます。早い時期に予約して
いれば新しい方に泊まることができたのでしょう。
晩ご飯はなんと17:45からでした。ちょっと早いように思います。量的には
まぁまぁかなという感じです。個人差があると思いますが、私にはちょうど良い
量でした。ただ、ナイフもなにもないのに桃が1つ丸ごと出されたのには参りま
した。
- 朝風呂
前日、夕食の時に飲んだビールと疲れのために21:30には二人とも意識を
失ってしまいました。そのためか、翌朝は6:00頃に目が覚めてしまいまし
た。せっかく温泉に来たので朝風呂を浴びることにしました。風呂は立て替え
られた建物の方にあるので、非常に綺麗でした。
- 山道くねくね 〜その3〜
出発前に作戦会議をして、今日のルートを決めました。長野から上田市に抜け
て、美ヶ原に登ってからビーナスラインを下り、白樺湖まで降りてから中央道
で帰宅することにしました。
上田市までは平坦な道でしたが、そこから美ヶ原までは登りです。特に美鈴湖
につながる県道はそうでもないんですが、途中から分岐している県道は18%
の勾配です。一気に2000mまで登り詰めます。ここもヘアピンカーブとブ
ラインドコーナーの連続です。例によって私は楽しんでいたんですが、あまり
に車間距離を詰めるので妻の心臓には良くなかったようです。(^^;;)
- 美ヶ原高原
18%の勾配を登り詰めるとそこは2000mの高原になります。雲を眼下に
見下ろすことができます。バイクで富士山五合目まで登ったことがありますが、
そっちよりも高いんじゃないかと思います。
登り切ったところにビーナスラインの料金所があるんですが、
事前にどこまで行くかを申告して料金を支払うように
なっています。なぜ理不
尽かって?急に行き先を変更しても先に支払った料金は戻ってこないじゃないで
すか。
美ヶ原高原には 美ヶ原高原美術館というものがあります。美術館といっても、
屋外展示も多数あるので、中に入らなくても様々な美術品を見ることができま
す。近くで見た方が面白いに決まっているんですが、あまりゆっくりもできな
いので先を急ぐことにします。ただ、この美術館は某お台場にあるテレビ局が
作ったので施設内の至るところで例の目玉マークのポスターを見ることができ
ます。
- ビーナスライン
美ヶ原高原付近にビーナスラインで最も標高の高いポイントがあるらしい。
1979mだったように記憶している。一度下りるとT字路がある。ここから
さらに登っていくとテレビ塔などがある場所に行けるらしい。遥か遠くに見え
るが、手前のT字路からすでに渋滞している。(-_-;)そのままビーナスライン
をそのまま進む。
ビーナスラインというところは路線が細かく区切られていて、その度に料金所
が設置されています。通しで料金を支払っている場合は通行券を見せるだけだ
が、これが結構渋滞する。なんか納得できなかった。
まぁ、それを差し引いても余りあるほど景色は綺麗。わき見運転するわけには
いかないので、あまり見ることができなかったが、『絶景!』とはこのような
景色のことを言うのだと思う。途中にいくつか展望台や休憩所があるので、立
ち寄るとよいかもしれない。ただし、大抵のところは駐車場が満車になってい
るが、、、
- 恐怖の大渋滞 〜霧ヶ峰高原〜
美ヶ原高原から比較的順調に流れていたが、『もうちょっとで霧ヶ峰』という
ところで都心の渋滞並に全く動かなくなってしまった。動いても数センチ進ん
で止まるという状態。
それでもどうにか霧ヶ峰高原が見えてきたが、そこで事情が飲み込めた。路駐
が異常に多い。霧ヶ峰高原にレストハウスがあるが、そこの駐車場が狭いため、
収容できる車の数が限られている。そのため、観光客が路駐するようだ。道路
の片側だけならまだしも、道路の両側に駐車しているため、観光バスが離合で
きず大渋滞となっていた。路駐している車をブルドーザーで谷底へ強制排除し
たくなった。
- 白樺湖は諦めて諏訪湖へ
霧ヶ峰高原を過ぎるとちょっと車が少なくなったが、すぐに渋滞となってし
まった。当然ながら、この段階で原因は分からない。まさか来た道を引き返す
わけにもいかないので大人しく渋滞にはまることにする。
渋滞にはまると周囲に車がいるせいもあって非常に暑くなる。『せっかく高原
に来たんだから』とエアコンを止めて窓を開けていたのが失敗だったかもしれ
ない。
ビーナスラインのB区間が終るところまで来た時に渋滞の原因が分かった。こ
の場所に大きなレストハウスと狭い駐車場があり、ここに止まる車でまず渋滞
していた。さらに、諏訪湖から上がってくる車も渋滞していて、白樺湖に向か
うA区間は大渋滞となっていた。霧ヶ峰高原からここまで来るのに1時間ほど
かかっているし、いまだに(この時は14:00を回っていた)お昼ご飯を食べ
ていないために白樺湖は諦めて、諏訪湖に降りることにした。惜しまれるのは
先払いしてしまったA区間の料金である。(-_-#)
- 諏訪湖SAで昼食
ビーナスラインから諏訪湖に抜ける県道もなかなか曲者である。最初のうちは
良いのだが、下界に降りるにつれて住宅が多くなってくる。その上、くねくね
していて、乗用車同士でやっと離合できるくらいに道幅が狭い。観光バスが上
がって来ればアウトとなる。(実際、そこを観光バスが行き来するので困るのだ
が、、、)
なんとか諏訪湖の湖畔まで降りてきた。諏訪湖SAに寄りたかったので岡谷IC
まで戻ることにする。15:00過ぎに諏訪湖SAに到着。ようやく昼食となっ
た。
- 富士五湖に逃げる
お腹も一杯になったので出発する。いままでの渋滞が嘘のように順調に流れて
いる。山梨までは何事もなく通過。渋滞の遅れを取り戻せたと思う。
ところが、世の中はそんなに甘くないわけで、中央道大月JCTから先が渋滞
していると知らせる電光掲示版が目に入った。このまま渋滞にはまって帰るか、
なんとかして渋滞を避けるかのどちらかである。車内で緊急作戦会議を実施し
た結果、大月JCTから富士五湖方面に抜け、御殿場から箱根を回って帰るこ
とにした。
情報では大月の先から渋滞が始まっていたのだが、実際には大月JCTの手前
から渋滞になってしまった。といっても、ほんの700mくらいで分岐だった
ので自分たちには無関係だったのだが、、、
- 最後まで渋滞なのね…
河口湖まで中央道を使い、その後東富士有料道路を使う。須走ICまで何事も
なく通過する。須走から御殿場までは一般道となるが、予想通りここが混んで
いる。大半の車が御殿場から東名に入ってしまったので、箱根に登る段階では
ほとんど車がいなくなってしまった。もうじき日が暮れるというのに箱根スカ
イラインではXJRと思われるバイクが攻めていた。
芦ノ湖スカイラインに入ると富士山の影に日が沈んでしまい、かなり薄暗くなっ
てしまった。箱根新道を下り切る頃には夜になってしまった。普通の日曜日な
らば、西湘バイパスですでに渋滞が始まるが、3連休の真中のせいか、西湘バ
イパスの終点まで来ても全く渋滞の気配がない。高浜台でやっと渋滞するが、
それでも普段に比べれば渋滞していないのに等しい。
普段より車が少なかったため、調子に乗って藤沢市内を通過するコースを選ん
でしまった。これが敗因だった。湘南海岸は車が少なかったが、藤沢市内は普
段の日曜日のままだった。結局最後の最後まで渋滞にはまりっぱなしだった。
途中で遅い夕食を済ませて家に帰りついたのは22:00近くになってしまっ
たとさ。
- エピローグ
翌朝は9:00過ぎまで目が覚めなかった。長時間の運転で足腰がバリバリに
なってしまっていた。これでも昔は九州までバイクで帰省していたんだがなぁ。
もしかすると、衰えているんだろうか、、、
wake@yk.rim.or.jp