イスラエル見聞録
その10
Last Update:
ゲートはどこだ?
貰った Boarding Pass には、搭乗開始予定時刻は 17:20 だったが、搭乗予定 時刻の 30 分前になっても NH202 の搭乗ゲートは表示されなかった。行きの悪 夢がちらっと脳裏をかすめる。さらに 10 分ほど待っていたらようやくゲート番 号が表示された。今回のゲートは 02 だそうだ。
元祖オバタリアン登場
ゲート 02 は自分がいたロビーからはちょっと離れたところにあるようだ。荷物 を持って歩いていくと、ゲートの前に全日空の係員(外人)がいて、日本語で「パ スポートとチケットお願いします」と言っていた。
ゲートの前にもちょっとした待合室のようなものがあり、ここでもしばらく待た されるようだ。ベンチに座って搭乗開始を待っていたら、日本人のおばちゃんの 団体が現れた。しかも、かなりうるさいタイプのおばさんばかりである。中には、 着ている服から、持っているスーツケースまでピンク色で固めた強烈なおばさん もいる。俗に言う「オバタリアン」である。
同じ席、というより、同じブロックになることは避けたかった。同じブロックに なろうものなら、日本までの間、長く辛い 12 時間を過ごさなければならなくな る。
幸いなことに、団体なので、最後尾のブロックだったようで、一番最初に飛行機 の中に消えていった。ほっとした。後に添乗員さんが 2 名残っていたが、今朝の 5 時からずっと動きっぱなしだったようで、かなり疲労こんぱいしていた。まぁ、 お客さんが「オバタリアン」なら、致し方ないというところだろうか。
それ以外には、カップルや、ビジネスマンが多かった。今回の座席は 31G であ る。往路は 30H だったので、 1 列後の通路側になるはずである。
日本語の洪水
搭乗したら、自分の座席は真ん中のブロックの通路側であった。予想通りであ る。さらに、隣には誰も来なかった。ということで、隣の席も自由に使わせて 貰うことにした。
座席に付くと、スチュワーデスさんが新聞を持ってきてくれた。久しぶりに日 本語の新聞を読む。どうやら、インドネシアが大変なことになっているらしい。 自衛隊機を出動させる、させないでもめているようだ。
しばらくすると、同日の夕方に放送された NHK ニュースが流れた。明日の天気 はなんとか持つようだ。
久しぶりの日本語の洪水の中にいると、母国語が通じることがこんなにも楽で、 安心できるということを改めて実感した。
慣れ親しんだサービス
日本のエアラインなので、搭乗するとまず最初におしぼりが出てくる。これは ありがたかった。すぐに飲み物のサービスが始まる。 1 週間ぶりの烏龍茶であ る。 ANA の場合、飲み物と一緒におつまみが出てくる。これまた、 1 週間ぶり のおかきである。一人で感慨にふけっていた。
しばらくすると夕食のサービスが始まった。今回のメインは、海老と鱈のクリー ムソース、カレー風味、もしくは、若鶏のグリル、イタリア風の選択である。 シーフードはイスラエルで散々食べてきたので、今回は若鶏にする。それ以外 には、ソバも付いている。これまた久しぶりのソバである。久しぶりの日本食 もどきを十分に堪能した。
さよなら、ヨーロッパ
飛行機はどんどんヨーロッパから離れていく。自分にとって、初めてのヨー ロッパであり、なにより、初めての海外出張である。たった 1 週間だったが、 すべてが懐かしい思い出のように感じられた。
次に来る機会があれば、今度は是非観光で来たいものである。
機内映画
今回の映画は「恋愛小説家」と「ハリウッド忍者」であった。「恋愛小説家」 はなかなか面白かった。ストーリーをここで書くのは止めておくが、よくある ハッピーエンドな映画ではあるが、セリフが心に残るような映画で、見終った 後にほっと安心できるような映画だった。
「ハリウッド忍者」の方は日本をテーマにしてあったが、かなり誤った認識で ある。コメディ映画なので、『わっはっはっはっは』と笑えるような内容では あった。もっとも、アメリカから見れば、日本はあのように見えてしまうのか もしれない。
日本が表示された
スカイマップで日本が表示されるようになってきた。フライト時間もあと 5 時 間ほどになってきた。あとちょっと(といっても、まだ数千キロも離れているが) で日本である。
映画を見た後、ちょっとウトウトしていたが、ちゃんと寝たわけではない。ほ とんどの時間は音楽を聴いていた。日本を出発する前に成田の本屋で買った本 もここで読みきってしまった。
パソコン、稼働
フライト時間が残り 3 時間を切ったところで、パソコンを取り出した。今回は 予備バッテリーがないので、使用時間は 2 時間くらいに制限されてしまう。そ のため、フライト時間が残り 3 時間くらいになるのを待っていたのである。パ ソコンを出したときは、まだ機内の照明は落とされていて、真っ暗だった。その 中で今回の旅の見聞録を打ち込むことにした。それに飽きたら、ゲームをやって 遊んでいた。
日本の上空だ!
そのうち、照明が付けられ、朝食(?)のサービスが始まった。今回のメインはオ ムレツであった。食事が終わるととうとう日本の上空にさしかかった。新潟→ 福島付近→水戸→成田となるようだ。窓際ではないので、外の景色を見ることは できない。
そのうち、高度を下げ始めた。いよいよ成田に近付いてきたようだ。機内から 水田が見えてくると、『ようやく日本に帰ってきたんだ』という気がしてくる。
今回はサテライトに到着
成田への着陸は風が強いのか、かなり揺れている。東関道の上を越えて、無事 滑走路に着陸すると「日本に帰ってきた。」という気がした。
今回の到着スポットはサテライトの方であった。飛行機が停止するやいなや、 最後尾にいたはずのオバタリアンが通路にいる人をかき分けて前進してきた。 ファーストクラスとビジネスクラスの乗客が降りてからエコノミークラスの 乗客が降りる。
サテライトなので、シャトルを利用して反対のターミナルに渡らなければなら ない。 1 つ前のシャトルがちょうど出発してしまったので、 1 本待たねばな らなかった。おかげで超満員になったシャトルで向かいのターミナルに渡るこ とになってしまった。
入国審査と手荷物受け取り
入国審査では到着便の関係からか、かなりの人が並んでいたが、係員はまさに 流れ作業のようにスタンプを押すだけで何一つ質問されることはなかった。簡 単な国である。
飛行機から降りてくるのはかなり早かったのだが、荷物が出てくるまでにちょっ と時間がかかってしまった。その間に例のおばさん軍団に周りをすっかり囲ま れてしまった。
自分の荷物を取ったらさっさと行けばいいものを、「○○さんの荷物がまだだ」 とか、「これは××さんの荷物」などといいながらターンテーブルの周りをう ろうろしている。さらに、重い荷物は本人に任せておけばいいのに、スーツケー スを下ろそうとしてそのままターンテーブルと一緒に引きずられている。大迷 惑である。
日本は蒸し暑い
荷物を受けとり、税関を抜けて到着ロビーに出た。扉を出たところに妻が立っ ていた。
飛行機の中では感じなかったが、やっぱり日本は蒸し暑い。妻に聞いたら、ここ 1 週間ほどはずっとこんな天気だったそうだ。イスラエルの乾燥した天候に慣 れてしまっていたので、ちょっと閉口してしまいそうだ。
リムジンバスで横浜まで
成田からはバスを使った。ちょうど良い時間のバスがあった。第 2 ターミナル を出発したバスは第 1 ターミナル経由で横浜に向かう。
途中で渋滞しているかと思ったが、まったく渋滞にはまることなくスムーズに横 浜に到着してしまった。所要時間は約 1 時間半ほどであった。驚くべき速さで ある。
いつも通りの横浜
YCAT から東横線の改札まで歩いたが、日本は人が多い。テルアビブの中心部も 人通りは多かったが、ここまで多くはない。なぜか、高校生の多さが目に付いた。 イスラエルにも学校はあるが、そんなに多くの人数を目にすることはなかった。 もっとも、自分が宿泊していたホテルの側に学校がなかったこと。また、訪問先 の会社の近くには学校はあったが、どうやら小学校のようだったこともあって、 高校生くらいの学生を見かけなかったこともあるのかもしれない。
東横線を使って最寄り駅まで戻る。
お腹が減った、、、
東横線を降りたら、やたらとお腹が空いていた。駅の近くのミニストップで カップラーメンと小さな弁当を買って帰った。
駅から自宅までは徒歩で 15 分ほど。湿度が高いようで、異常に蒸し蒸しして いる。じっとしているだけでも汗が出てきそうである。
汗だくになりながら自宅まで歩いた。テルアビブを出発して約 28 時間。よう やく自宅に到着した。長い、長い移動だった。
The End.
その9へ
トップページへ
Copyright (c) Masatsune Wake (1998), wake@yk.rim.or.jp